FUKUDA SEMINAR
アート・文学
4
求めるのは「意味」ではない、その作品の「可能性」である
SCROLL ↓
アート・文学
今の時代、芸術作品に生で触れる機会は少ないと思います。スマホで検索すれば出てくるし、カタカナの多いアーティスト名は覚えにくい、さらに言えば正直この絵の何がすごいのかよくわからない、そう思うこともあるでしょう。けれど絵の具で塗り重ねられたキャンバス——そんな表面的なところよりも、その作品が持つ気配をたどっていただければ、さらなる「オモシロイ」に出会えると思います。文学・アート軸は、一つの正解にとらわれない研究領域です。
まず押さえておきたいのは、この軸が作品の価値をジャッジする場ではないという点。「良い/悪い」、「優れている/いない」を判定するのではなく、作品を前にしたときに立ち上がってくる感覚や、引っかかり、違和感——そうしたものを、そのまま手に取るところから始まります。わかろうとしなくていい、評価しようとしなくていい。まずは、そこに立ってみる。それくらいの距離感で、大丈夫。
文学やアートの作品は、一見すると絵の具や言葉の集まりにすぎないように見えます。けれど、しばらく眺めたり、読み進めたりするうちに、どこか別の空気が滲み出てくることがあります。それは、作者が見ていた景色かもしれないし、その時代特有の感覚のようなものかもしれない。はっきりと輪郭を持つものではないが、確かに「何か」がこちらに触れてくる——この軸で、私たちはそうした気配にだんだんと敏感になっていきます。ここからは、さらに神経を研ぎ澄ませていきましょう。
作品を通して感じ取ったその「何か」は、ひとつの意味に収まるものではなく、無数の原子が漂う場のようなものです。どの原子に触れるかによって、メディアのあり方が呼び起こされることもあれば、過去の出来事や、自分自身の考え方がふと問い直されることもある。その静かな反応の広がりのなかで、文学・アート軸は他の研究軸へ向かうための「始まり」となり得ます。
もちろん、この軸は他の研究の橋渡しとしてだけ存在しているわけではありません。文学やアートそのものが持つ文化的な側面を言語化することは、この軸固有の深い価値です。作品が成立する構造をたどることは、人間の生き様そのものに触れる作業でもあります。
文学・アート軸——この研究を通して作品に求めるものは「意味」ではありません。「可能性」だと思います。作品が持つ複層的な世界に触れる、そこで出会うのは一つの正解ではなく、思いもよらなかった「オモシロイ」の断片です。その断片を拾い上げるたびに、作品は新たな読みを許し、あなたの研究の可能性はどこまでも広がっていきます。