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哲学・思想

​私たちは何に動かされている?日常の「違和感」が「面白い」に変わっていく 

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哲学・思想

哲学と聞くとなにか壮大な概念に対する問いから始まり、終わりのない問いに沈んでいく。そんな手強さを感じてしまうのではないでしょうか。とはいえ、このゼミで行う哲学・思想の研究に高いハードルが設けられることはなく、ただ少し自分の知り得ない世界、体験へとからだを開いてみる。そんなところからスタートします。

 

「カラオケでプレイリストから選定される珠玉の一曲」「欲望が詰め込まれたネットショッピングのカートの中身」——大小に関わらず、選択の積み重ねにより消費活動を繰り返す私たちですが、その選択の背景にあるのは本当に「自らの」意思なのでしょうか。いつのまにか意識してしまう他人の目や、なんとなく目に留まった商品ページなど、己の意思の圏外に漂う判断材料に動かされた、なんてこともあったはずです。そうして意識してみると私たちの行為には能動性でも受動性でもないナニカが潜んでいることに気付いてしまう。

「哲学・思想」の軸では、こうした気付きから我々にとって疑う余地もないあたりまえにつきまとう「透明な仕組み」を言語化し、「私たちは何に動かされているのか」/「私たちの判断はどこから生まれているのか」を分析することで学びを深めていきます。

 

現代に蔓延る見えない仕組みを分析する足がかりとなるのは、フランスを中心にしたヨーロッパの近代哲学です。今やその存在すら忘れ去られてしまった概念も、私たちがとらわれている「ふつう」のフレームを捉え直すきっかけとなるうえ、世界のなかに捉えた違和感、いわばもつれた糸が解けていく手がかりにもなるのです。    

代表的な例としてここで挙げるのは、ミシェル・フーコーが指摘した「規律権力」という概念です。スマホの通知が私たちに返信を促すように、また内申点による評価制度が優等生を生み出すように、誰に強制されるでもなく規範に従おうとする姿勢を生み出してきました。この見えない「ちから」は行為する主体の能動性はそのままに、人間の在り方それ自体をも規定する力として認識され、従来の押さえ込む権力とは異なる捉え方がなされました。

 

フーコーが指摘したもうひとつの権力もまた、私たちの暮らしに溶け込み、自由の錯覚を加速させた、現代社会を特徴づける「ちから」なのです。デジタル技術によってネットワーク化された社会で、規律権力以上に能動性が確保された「ちから」は、消費活動への更なる没入を誘いました。水面下で働く仕組みに気付くことは難しく、私たちは一見「自由」に思えるフレーム内で、最大限効率化された選択を行う。その心地良さを「あたりまえ」として受け入れてしまう。枠外へ目を向けることをいつの間にか忘れてしまい、自覚なしに他の存在から切り離されていく危うさも共存しているのです。

 

こうした危うさに気付くこと、「透明な仕組み」と私たちの関わりを明らかにすることが「哲学・思想」を研究の軸とする最大の意義でもあります。過去に生じた思想や概念について知識を得るに留まらず、先人に倣って、私たちが生きる「いま」にその尺度を当てはめ、慣習の中に潜む「ちから」を見極めようと試みる。あるいは、自分専用に調整されたフレームの外に目を向け、意識的にノイズを取り込んでみる。「いま」に対する批判的思想が、日常に「おもしろさ」を見出すことにつながるかもしれません。

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