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​メディアの歴史研究

「あたりまえ」のメディア

その偶然と移りゆく歴史を辿る

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メディアの歴史研究

蛇口を撚れば水が出るように、画面を操作すれば音楽が流れる。録音装置が私たち、そして音楽という文化にもたらした恩恵はあまりにも大きいものでした。しかし驚くべきことに、こうした事象は偶然の産物にすぎないのです。

 

本ゼミで行う歴史研究の営みで要となるのは、私たちが普段使っているメディアのありさまが、現代のあたりまえとして定着するまでに辿ってきた経緯を探ることです。メディアに囲まれながら生きる私たちの体験は「偶然の産物」であると同時に、歴史的構築物でもあることを明らかにしていきます。

現代では当然の存在に思えるものでさえ、歴史の中で幾度となく変化を重ねてきました。この軸においてメディアの変遷を辿ること、それは「技術的進歩」をなぞることだけではないのです。メディアが生み出してきた体験も、メディアの成り立ちと同様、直線的でない変化の連続がその背景に潜んでいます。「メディア」と「人々の振る舞い」、両者を切り離して考えることはできません。

 

冒頭で登場した録音装置のアイデアを創出したのは実のところ「音楽」とはかなり隔たりのある知的領域に生きる人物でした。彼が人の視覚・聴覚の代理物として発案したその装置は、今ではいつでも、どこでも音楽作品を楽しむために不可欠な技術として用いられているのです。

こうした体験の変化に目を向けることで痛感するのは、私たちのもつ現代的な常識が過去の事象の前ではまったく通用しないということです。

 

映画における観客の様子は「メディア」と「人々の振る舞い」が共に複雑な道のりを経てきた事例のひとつです。今では娯楽産業の代表格とも言える映画ですが、その出発点で題材とされたのは観客にとって身近な景色でした。映画が物語性を帯びるメディアとしての発展を遂げるなかで、スクリーンを見る観客の立場も変化を強いられ、主体的に物語を読み解く姿勢が求められるようになったのです。こうした要求をごくあたりまえに受け入れ、ストーリーへの没入を楽しむ私たちの姿は、かつての受動的な観客のあり様とはまるで異なっています。

服という文化においても「買って着る」が定着する以前は、「作って着る」いわば「洋裁文化」こそがあたりまえとして浸透していました。第二次世界大戦とその後の民主化により広まったその文化は、現在の日本ではほとんど衰退しその歴史すら私たちの世界からは見落とされてしまう。しかし、確かに現在の日本のファッションの基盤をつくり、そして時代の転換期を担っていた洋裁文化は、消費の在り方さえも歴史のうちに生じる複雑な変容や偶然の積み重ねによりカタチを変えてきたことの証でもあるのです。

 

歴史的プロセスがその帰結に至るまでに存在したはずの、しかし忘れられてしまった過去の想像力に目を向けてみることがこの軸を研究するおもしろさでもあります。

科学や哲学、そしてまた人間の感性や身体観の変容など、複数の視点から「メディア」を捉え直してみる。「もしかしたらこんな世界が…」少しの偶然のかけ違いで生まれたかもしれない、あるいは「いま」芽吹こうとしている、もう一つの世界の原子に遭遇するかもしれません。

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